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MARQUEE Vol.81 裏話:表紙

  • Posted by: MMMatsumoto
  • 2010年10月15日 01:52
  • MMM
そう言えば表紙です。
デザインは毛皮のマリーズをディレクションしていただいた信藤三雄氏が主宰するコンテムポラリー・プロダクション(CTPP)。

デザイン上がってきてもちろん「OK!」。
がー、しかし、「これ、MARQUEE って読めるぅ?」ってことで、
「んー、読めないなぁ」ってことで、
「まぁ、裏表紙見れば MARQUEE ってわかるし」ってことで、そのまま。

この書体って1970年前後に比較的使われたもので、
全体的な方向性として毛皮のマリーズに合ってるし、
中ページとの整合性もある。
もちろん表紙内のデザインバランスも取れてるわけで。
読めないことは意外性の範疇に入ると思ったからです。

いつも思うんですが、なんでみんな表紙とかの雑誌名ロゴって、
いつも同じなんですかね?
同じことが、そんなに大事?
オレはそれよりも"自由"と"尊敬"のほうを取ります。
そういう主義の人間でッす。中身で行きたいんで。

たとえば、「えー、capsuleとゆらゆら帝国がおんなじロゴなわけ?」と
かねがね疑問があるわけです。
アーティスト性、無視な、というか「ロゴってそういうものだから」みたいな、慣習・先入観・常識とやらが、ひたすらうっとうしい。
そんなにロゴの定型化って必要なことなんですかね?

本当に必要? 本当? よく自分で考えてみなよ。

"マーキー"ってわかればいいんじゃないですか?本当は。

オレは、アーティスト、ミュージシャンあってこその(音楽)雑誌だと昔っから思ってます。
彼等がまず音楽発信(表現)して初めて雑誌も成立するというこの事実と、彼等に対する尊敬があって、
マーキーはロゴもミュージシャンのその時に大枠を合わせています。
なんも考えずに「みんながそうしているから」なんてことで、
同じロゴや色や大きさに、ミュージシャンを押さえ込むつもりなんて、
そんな知らず知らずの内の"無理解"をやるつもりは毛頭ないです。
誰のおかげでメシ食えてるんだってことです、簡単に言うと。
だからフラットに考えれば、
その時々のロゴ変更なんて本来自然なことだと思うんですが。

オレは絶対に、自由なのが楽しい!

だから、そこまで遊びたいっていう"自由"が、
単なる編集エゴに止どまらないようそのアーティストのその時のモードを読み取ることで、ちゃんとミュージシャンに対する尊敬に結び付いて、
その結果、プロモーションなりアーティスト自身の為なりに、
より一層の効果を発揮すればいいということです。

だから、この自由って、ただのわがまま(エゴ)とも違う。

それだけのこと。至って簡単なこと。
変えられることだし、変えるに勇気も何も必要ないです。
自然の摂理に沿っていれば。
何も思ってなかった、考えてなかったっていうのは、
それ、"洗脳"されてるに等しいです。
どこでそんな事、刷り込まれたの?って聞きたくなる。
学校? 自分で考えてみなよ、って感じです。

本当に、そんなんでいいの?
だから、世の中って、つまらないんじゃないの?

不自由にしてるのって一体誰なんですか?
っていう問い掛けで自分の心の中を覗く。
これってまるで、世界の終わりの代替解説でしょ?
こういう思考回遊が、ちゃんとリアリティ持つ時代にまで来たことを、
僕は本当に本当に嬉しく思ってます。
そういう意識を持ったミュージシャン達がたくさん出てきたことが。


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